中学生時代にイジメられ、何度も「自殺」を考えたが頭を過った。そして大人になっても見え隠れするイジメの存在に「幸せに生きるためにはどうすればいいのか」と考え続けている五十五歳になった私から、苦しんでいる後輩たちに伝えたい。
イジメられていることを恥ずかしいなんて思わないで。親が知ったら悲しむなんて思わないで。自分を助けてくれる人はいないなんて思わないで。そしてなにより、事を荒立ててはいけないなんて思わないで。荒立てなくてはダメだよ。だって「知らなかった」ことにされてしまう。それは絶対にダメ。だって、「あなたが辛い」のは大問題だもの。
傷つけられて殺されてしまうかもしれない、傷ついて死んでしまうかもしれない。
死んだら事件になって、耐えていたら事件じゃない、そんなのおかしい。
その後「事件」になったら、イジメた側や周りで見て見ぬふりをしていた人たちはこう言うんだよね。
「本気で嫌がっていたなんて知らなかった」
「そんなに辛かったなんてわからなかった」
さらに、言う。
「気持ちをはっきり伝えてくれていれば、接し方を変えていたのに」
「助けを求めてくれれば、助けてあげたのに」
「傍から見ていて楽しそうなときもあったので、おふざけなのかなって思っていた」
イジメっ子って、ときどき優しくしてくれたりするんだよね。いつもイジメられていると、そういうちょっとしたひとときが妙に嬉しかったり、これで好転するのかもしれないって思ったりする。そんなに甘くはなくてもついつい期待してしまう。そういう気持ちが態度に出て、それが彼らの言い訳にされたりするんだよね。
悔しいよね。
だから、あなたに言いたい。
怖がらないで、大きな声で「助けて!」って言ってほしい。ひとりで我慢するんじゃなくて、誰かにこっそり相談するんじゃなくて、大きな声でみんなに聞こえるように「助けて!」って叫ぼうよ。
絶対に誰かが助けてくれるはず。だって、みんな黙っていても、心の中ではあなたのことを応援しているんだよ。「負けないで」って思っているんだよ。
でも、言えない。自分がイジメられたら困るから、自分を守るために言わない。本当は助けてあげたいけれど、言えない。
みんな弱いんだよ。人間は、みんな弱いんだよ。あなたがイジメっ子の蔭に隠れていたら、それをいいことに気持ちはあっても何にもしてくれない。
だから、みんなに聞こえるように、「知らなかった」なんて言わせないように勇気を出して、「助けて!」って叫んでみて。そうしたら、まわりだって、「助けてあげなきゃ」って何かしたくなるもの。力が湧いてくる。勇気を出して、あなたの味方になろうって思えるようになるから。そういう人たちを結束させ、あなたの応援団が作られる号令になり得るから。
ひとは思いの強い方に引っ張られるんだよ。自分の中での「ネガティブ」 VS「ポジティブ」の綱引きのようなもの。どうせなら「ポジティブ」に勝ってもらおうよ。
綱引きで「力」を発揮する秘訣って、知っているかな?
「声」なんだよ。大きな掛け声を出すと力が出るんだって。
「助けて!」って、大きな声で叫んでみよう。そうしたら、助けを求めるあなたにも、力が湧いてくるから。そしてそれは、あなたと同じように苦しんでいる人たちにも勇気を与える、ものすごくカッコイイ行為だと思う。
私には中学二年生ときに入っていた仲良しグループの中で、突然イジメられるようになった経験があるんだ。昨日まで普通だったのに、何が悪かったのか、原因がまったくわからないまま、イジメられるようになった。リーダー的存在だったK子から「なんか、うざいんだよね」って。
それまでランチの時間はいっしょにお弁当を食べていたのに机を離されたり、休み時間に近くに行くと、さっと背中を向けられたり、こそこそと内緒話をしながら睨まれたり。あのときのK子たちの冷笑する目は今も忘れられない。
誰かに悩みを打ち明けたかったけれど、そのグループにずっといたから、ほかに相談できるような友達はいなかったし、親には「悲しませたくない」と思って言えなかった。それに周りに対して「イジメられていると思われるのは恥ずかしい」と思っていたんだ。
その内、イジメはどんどんエスカレートして、持ち物を隠されたり、ノートに落書きされたりと、いたずらをされるようになった。
ある日、お弁当箱をあけたら、おかずをぐちゃぐちゃにされていたんだ。早起きをして作ってくれたお母さんの顔が浮かんで腹立たしさが爆発した。
それまで「一人」になるのが怖くて、どこかにグループ内に留まりたい、いつかイジメが収まって元のような仲良しに戻れるんじゃないか、などと希望を持っていたけれど、望みの糸がプツンと切れた。というか、こっちから縁を切ってやるって思った。そして、次の瞬間、怒鳴っていたんだ。
「いい加減にしてよ。これは犯罪だよ! なんでこんなことをするのか説明しなさいよ」
K子は私のいきなりの変貌に驚いた表情を見せたけれど、次の瞬間、ニヤニヤしながら言った。
「ウチらがやったっていう証拠、あるの?」
私はあると言って周りに呼びかけた。
「誰か見ていた人、いるでしょう?」
でも、名乗り出てくれる人はひとりもいなかった。
「いないじゃん。嘘言わないでよ。犯人扱いされて不愉快なんですけど!」
私は、先生を呼びに職員室に行った。先生は話を聞き、一緒に来てくれた。そして、「やっていない」を繰り返すK子たちを教室の外に出して、みんなに目撃した人はいないかと聞いてくれた。
「黙っているのは、罪だからね」
先生の言葉に、一人、二人と目撃証言をしてくれた。先生はK子たちを呼び戻すと「クラスの全員が見ていた」と言い、その場で叱り、放課後、職員室まで来るようにと厳しい態度で対処してくれた。
今まで感じたことのない爽快感を覚えた。K子たちが叱られたことへの嬉しさというより、「自分の思いをはっきり言えた!」ということ。引っ込まずに自分の気持ちを堂々と表明できた、それがすごく嬉しかったんだ。
以来、ひとりでいることが恥ずかしくなくなった。だれかと群れていないと不安だった気持ちがスルッと抜けた。私の方からK子たちを遠ざけ、何かされそうになると声を上げた。その内、接点が無くなっていった。
一人の時間が増えた分、図書室で本を読んだ。まわりと話を合わせるために本を読むのではなく、読みたい本を読む。自分だけの世界は楽しくて、静かに、大人への階段を一歩一歩上っていっている感じがした。嫌いだった自分のことがだんだん好きになっていった。そして、気づいたんだ。
「一番大切にしないといけないのは、自分なんだ。そのためには、誰かに好かれようとして、自分にウソをついてはダメなんだ」
友だちなんていなくていい。自分と会話ができればいい。自分が親友であれば、どこに行ったとしても、一人ぼっちになったとしても寂しくなんかない。それまで、多人数で群れてワイワイやっていても感じていた寂しさ、そっちのほうがうんと「孤独」だった。
あなたは自分のことが好きですか?
私はずっと自分が嫌いだったの。人の目を気にして、自分にウソばかりついていたから。ひとの目より、自分の心の目を大切にするようにしたら自分が好きになったよ。
いま、私には「親友」と呼べる人はいない。振り返ればずっといなかったかもしれない。でも友人はいる。職場ではこの人、スポーツジムではこの人、と。それでいい。それが楽。
もう、無理しない、頑張らない。最後に相談できる親友の「自分」がいるからいいんだ。
「幸せ」をつくる練習を見つけたよ。本当の自分Aと、外に見せている自分Bとで話すこと。
「なんでさっき、悪くもないのに謝ったの?」
「早くあの場から抜けだしたかったんだ」
「でもそのせいでモヤモヤしているじゃん」
「そうだね、今度は謝らないでみるよ」
自分Aと自分B、時によって近づいたり、離れたり。ケンカをすることもあれば、なぐさめあうことも。淋しくなる暇はなくなるくらい充実した時間になるよ。AもBもかけがえのない自分。そして、それはこれからの人生の幸せの土台を作ってくれるはず。
イジメてくる人たちのこと、やっつけてやりたいよね。見返してやりたいよね。私もあの頃、何度も思ったよ。
「私が自殺したら、あいつら逮捕されるかな」
「一生、負い目を背負わしてやる」
私が受けたイジメなんて、過酷さでいえば初級程度だったかもしれない。それでもあんなに辛くて死にたくなったのだから、あなたがもっと大変な目にあっているとしたら……胸が張り裂けそう。
でも、後になって気づいたよ。K子たちに罰を与えても、長い目で見れば私の人生は変わらない。であれば、そんな人たちのことを考える時間がもったいないじゃないかと。
「『自分のための』時間を使おう」
そうふっきれたら、日常が穏やかになった。相手を変えるんじゃなくて、自分が変わったら、すべてが変わった。
人生って一瞬で逆転することがあるんだね。
その逆転が、いま、くるかもしれない。明日あるかもしれない。あさってかもしれない。
自分が頑張ったわけではないのに、ふっと、なにかの瞬間にふっきれて、気づけば変わっていたということもあるんだよね。
人間の世界なんて、宇宙規模で考えればちっぽけなもの。私たちはそのちっぽけな世界の中のもっとちっぽけなところに住んでいる。
世界は広いよ。あなたの居場所は必ずあるからね。いま、その居場所を探すのが無理なら、心だけを肉体から解放してあげよう。
その行き先は「希望」だよ。
将来、何をしたい?
どんな人になりたい?
どんなひとと結ばれたい?
「そんなこと、何も思い浮かばない」というのなら、あなたの可能性は無限大だということ。これからどうなっていくのか、自分にワクワクしていようよ。
いまより、もっと美味しいものが出てくるかもしれない。もっとすごい乗り物が出てくるかもしれない。もっとワクワクするようなことが起きるかもしれない。
大好きなひとに出会って、BIGになって、
ものすごく幸せになるかもしれない。心の中で、そんな自分を思い描いてみよう。
「いま、幸せですか」
そう聞かれたら、私は小さく頷くと思う。お金持ちでもなければ、すごく楽しい仕事をしているわけでもない。子どもはいないし、これといった趣味もない。華々しい喜びはない毎日。嫌なことだってたくさんある。でも、ちょっとしたことで「いいな」と感じることがある。
お腹が空いているときに食べる最初の一口。
暑い日に飲むキンキンに冷えた水。
寒い日に入るお風呂。
「ありがとう」って言われたとき。
「がんばったね」と褒められたとき。
目が合って、にっこりしてくれたとき……。
傷ついた経験がある分、繊細に小さな幸せに気づくようになる。あなたには、これからたくさんの幸せがやってくるはず。
いま、思うよ。
「生きていてよかった」
あれから、たくさんの幸せがあったよ。幸せって、気づいた数だけ幸せになれるんだよね。辛い経験をした分、ほんの小さな幸せにも気づくことができる、それはあなたがイジメに耐えてがんばった最高のご褒美。
この先、たくさんの幸せが待っているからね。 |